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馬肉って桜肉(さくらにく)と呼ばれるのはなぜ?桜肉の歴史や語源についてご紹介

馬刺しは桜肉とも言われていますね。

名前の通り、桜のようなきれいな色をした馬肉ですが、なぜ「桜肉」や「さくら」といわれているのかご存知でしょうか。

そこで今回は、

馬刺し(桜肉)の歴史

桜肉の語源

についてご紹介します!

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目次 -お好きなところからお読み下さい-

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馬刺し(桜肉)の歴史

もともと馬肉・馬刺しを食べる文化が広まったのは、豊臣秀吉の時代。

文禄・慶長の役に朝鮮出兵で肥後熊本半初代藩主の加藤清正にルーツがあるという説が有力とされています。

当時、朝鮮出兵で大陸に渡った際に現地で食料が底を尽き、やむを得ず軍馬を食料にしたことが発端とされ、帰国後も加藤清正らは領地の熊本で好んで馬刺しを食べていたことから、熊本にて馬刺し文化が広まっていったと言われています。

現在でも熊本県は馬肉の生産地域で一番の都道府県となっており、歴史的背景が影響しているといえます。

馬刺しは熊本以外でも東北地方の会津馬刺しが有名です。

東北地方は赤身を食べる文化に対して熊本馬刺しは赤身に霜降りと幅広い馬肉の部位を食べる文化があるとされています。

最初に馬を生で食べるのは勇気が必要だったかもしれませんね。

でも、飢えを凌ぐために食べたのがきっかけで馬刺しがどんどん広まっていったというのは驚きです。

桜肉の語源は?

ではなぜ馬肉が「桜肉」または「さくら」と呼ばれるようになったのでしょうか?

いくつかの理由があるようです。

その5つの説についてはこちら↓↓↓

①時代背景が語る、隠語説

もともと日本では普通に肉を食べることがありましたが、時代によっては肉食自体が禁止になることもありました。
しかしながら、禁止令の出されている中、人々は肉を食べたい食欲には逆らえず、肉名を隠語にして食べていたそうです。
例えば、イノシシ肉を牡丹(ボタン)、鹿肉を紅葉(モミジ)そして馬肉を桜(サクラ)と呼んでいました。
その名残から桜肉と呼ばれるようになった説があります。

②馬肉は春がおいしい説

馬は草や穀物を食べて育ちます。
そのため、水分の多い青い牧草を食べるのは必然的に夏場になります。
対して、干し草や穀類を食べて過ごす秋と冬を越した馬は、桜が咲く春の季節には脂がのっていておいしいといわれており、季節によって異なる草を食べることが肉質に関与した説があります。

③化学反応説

馬肉には豊富な鉄分が含まれていて、その量は牛肉の約1.5倍、豚肉の約3.5倍と圧倒的な栄養素の含有量です。
その成分のヘモグロビンが空気と反応することで、鮮やかな桜色になり、その切り身を並べることで桜の花を連想させることも理由の一つとなっています。
それに加えて鍋で煮込んだ馬肉が桜色になるという理由からも桜肉と言われている説があります。

④地名説

千葉県の佐倉(さくら)という地域は今も昔の城下町の面影を残している地域であります。江戸時代には佐倉藩十一万石として栄えた歴史ある城下町であり、2016年には日本遺産に指定されています。
この佐倉の地はかつて幕府の牧場があったことから「馬」といえば「佐倉」と言われるようになり、地名を引用した説もあります。

⑤食品偽造説

露天商などで客を装って商品を褒めたりする人を「さくら=偽客」と隠語で呼ばれていますが、明治時代、牛鍋が流行った際に効果な牛肉の偽客として馬肉が使われたことから、その馬肉をさくらと呼ぶようになった説もあります。

5つの説についてご紹介しましたが、どの説が1番有力だと思われましたか?

どれも当てはまりそうな感じではありますが、どんな理由にしても桜肉が美味しく人気があるお肉である事には変わりません。

まとめ

今回は、馬刺し(桜肉)の歴史、桜肉の語源についてご紹介させていただきました!

 

・桜肉の歴史は、豊臣秀吉の時代に、加藤清正らがやむを得ず軍馬を食料にしたことが発端とされている。

・桜肉の語源は5つほどの説がある。

 

語源のミステリーを追求しながら、桜肉を楽しんでくださいね。

最後までご覧いただきありがとうございました!!!

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